1989年、西ヨーロッパ・ベルギー。32歳のまだ心は少年のように若いその男性は自転車に乗っていた。大志を胸に抱いた若き自家醸造家は、愛車である大口径のタイヤを履いたマウンテンバイクに乗り、ヨーロッパ各地のビール名産地を巡るたびを行っていた。その旅の途中で、ベルギーのビール造りにインスピレーションを得た共同創業者ジェフ・リべスはフォートコリンズに戻り、たくさんのレシピのアイデアと原料を手に、未知の世界へと旅立つ準備に取り掛かった。
1991年、アメリカ西部コロラド州北部の街、フォートコリンズ。自宅の地下室でNew Belgiumは製造を開始した。それはまさにジェフの夢が現実となった瞬間であり、同時にアメリカで最初のベルギースタイルを専門に造るクラフトブリューワリーの誕生であった。
同じく共同創業者で彼の妻、ソーシャルワーカーでもあり、そして二人の子供の母親でもあったキム・ジョーダンは近所を周り、人々に彼らのビールを飲んでもらうマーケティングプロセスを始めた。オリジナルのFat Tireの水彩画ラベルを描き、その後23年以上にわたってブリューワリーのブランドを支えている芸術家のアン・フィッチもその隣人の一人であった。当初は主にパッケージ商品の完売に特化していたこともあり、たちまち彼らの作るビールは熱狂的なファンを獲得し、翌1992年に自宅の地下室にあった小さなブリューワリーはフォートコリンズの元は貨物倉庫だった場所に拡大移転した。それでも増え続ける需要に対応しきれず、1995年12月には総工費6億2500万円をかけて建設した現在のブリューワリーに再び移転する。
その後もブリューワリーは順調に成長を続け、1998年には年間醸造量がついに100000バレルを突破。2000年のGreat American Beer Festivalで中規模ブリューワリーチャンピオンの栄誉に輝く。そして10周年を迎えた2001年にはついに全米第5位の規模まで成長、さらに前年に引き続きGreat American Beer Festivalで中規模ブリューワリーチャンピョンを2年連続で受賞、怒濤の勢いはとどまるところを知らず、15番目の地域となるカルフォルニア州での流通を開始し、最高の形で10周年を迎えた。2015年ではさらに増え、全米39州とワシントンD.C.及びカナダ西部ブリティッシュコロンビア州で販売されている。時を同じくしてブリューワリーの規模を3倍にまでに増やす拡張を開始した。2007年には全米有数の巨大空港であり、最も混雑する空港の一つに数えられるデンバー空港のコンコースB内に直営店をオープン。フライトまでの待ち時間の間に彼らのビールを楽しめるようになっている。
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